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府中家具・飛騨家具を探る

府中家具 箱もの家具の産地

 

歴史

 広島県府中市で箪笥づくりが始まったのは、今から300年ほど前で、「宝永年間に内山円三が大阪で箪笥の製法を習得し、帰郷後製作に着手したのが始まり…」とされています。

 大正時代、第一次世界大戦のバブル景気で家具の需要が急増すると職人の数も増えて家具産地が形成されました。その頃には、現在の鵜飼町辺りに百数十軒もの箪笥職人が軒を連ね、朝早くから夜更けまで、ノミやカンナを使う音が絶えなかったと云います。

 戦後、府中家具は他産地に先駆けて「婚礼家具セット」を開発し、大きな転換期を迎えました。高度経済成長により高級品へ需要が高まり、そして昭和40年代後半には団塊の世代が結婚適齢期を迎え、高級な婚礼家具が爆発的にヒットし、府中家具産地はその頃に飛躍的な発展を遂げました。

 同時に、各企業がより高級な製品を作ろうと技術を競った結果、コンクールで連続してトップ賞を獲得するなど常に上位入賞を果たし、高級家具の産地としての名声を得るに至りました。

飛騨家具 脚もの家具の産地

 

歴史

 1920年(大正9年)のある日、高山を訪れていた「ブナ材を曲げて家具を作っていた」という、二人の技術者の話を聞いた町の有力者たちが資金を出し合って起業。アルプス山麓をはじめとする豊富なブナ資源を、家具に活用する試みが始まりました。

 椅子など見た事もなかった職人たちは、木に対する経験と知識に支えられながら試行錯誤を繰り返し、ようやく2年後、やはり飛騨の伝統技である春慶塗の施された椅子を世に送り出したのです。

 当時は曲げ木の発明者であるトーネットのスタイルを模倣したものから始まり、やがてオリジナルの折りたたみ椅子やサロンチェアを造り出します。

 以来、飛騨産業の家具は昭和初頭の華・モダニズムを彩り、日本の家具文化を育むとともに、アメリカへの輸出を生産の中心に据えることで、欧米文化につちかわれてきました。

 戦後は優れたデザインと品質で評判を集め、数々のロングセラーを生み出して、日本人の暮らしに定着していきました。そして、未利用資源の導入や廃材の利用など、飛騨産業の新しい試みと創造力は、今も創業の精神を引き継ぎながら、さらに日本の風土と文化に根ざした家具を産みだそうとしています。

府中家具工業協同組合より

株式会社飛騨産業より

 

 

 

技

   蟻組 ありぐみ
板と板を組み合わせる箇所の木口を、凹凸に切り込む技法。板の反りを止め強度を高める上、見た目も美しい。ここが蟻の頭に似ていることから由来した技法。
   ホゾ組 ほぞぐみ
組み合わせ板に長い溝をつけて一方の凸部を合わせる技法。接合部は入念な手組みで、接着部の面積が広いため、高い強度をもつ。
   木釘 きくぎ
日本建築と同じで吸湿性、耐久性を考え、家具も組み立て部分では全て木の釘を使用。腐ることなく接合部と一体に。

技

   曲木 まげき
熱と水分を十分に加えた木材は、手で曲げられるほどのやわらかさを持つようになります。型に合わせて曲げた状態で乾燥させると、木材の形が固定されます。曲木の技術を用いると、優雅で美しい曲線を作り出すだけでなく、削りだして加工することに比べると、木材を無駄なく利用することもできます。
   ロクロ切削機
無垢の木を回転させながら美しいフォルムに削っていく機械。飛騨の家具に代表されるウィンザーチェアも、このロクロ切削機によって量産が可能になりました。現在は美しいシャープな丸みが飛騨家具の特徴でもあります。
   匠の椅子組み
木材パーツを一つ一つ手作業で組み上げていきます。人の体をまかせられる強度と美を追求したデザインとつくりは、まさに継承され培われてきた「匠の技」です。

 

 

 

ブランドロゴ

ブランドロゴ

府中の伝統技術「蟻組」をモチーフにしたデザイン

府中家具木工資料館へ

ブランドロゴ

ブランドロゴ

飛騨の匠の技法「千鳥格子」を象徴的にデザイン

飛騨木工連合会へ

 

 

 

現代の府中家具

タンスの他にもデザイナーとの商品開発などで現代の住まいにすっととけ込む、アイテムが増えています。細かいオーダーでひとつ一つお作りできるのも特徴です。

現代の飛騨家具

木のことを知り尽くした匠が作る無垢の家具が特徴です。昔からの技法で、モダンなデザインの家具もたくさん作られており、テーブルや椅子のもっとも発展している産地です。

サイドボード

ダイニングテーブル・椅子

ベッド・ドレッサー・チェスト

ソファ・リビングテーブル

TVボード

ソファ・サイドテーブル

カウンター

ソファ・センターテーブル

タンス

テーブル・ベンチ

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